【連載】解体修理に観る屋根瓦と建物の歴史 第3回

城南支部 金森 清正

 「すじかい」の連載企画の第3篇です。
 今回は宇治の茶問屋さんの作業場兼倉庫の半解体修理で、元は蔵であった建物で本瓦葺きでした。
 安政年間よりつづく茶問屋で、建物の多くは大正期に再整備された様ですが、当該建物は、小屋組が登り梁構造で、江戸期の建物と推量されています。牛梁下にあった棟札には「上棟大正四年乙卯二月二十六日」とあり、改修時期が確認されました。今改修は隣接する建物の解体撤去に伴う修理修景に伴う工事ですが、屋根瓦に特化して整理し、纏めてみました。
瓦の検証
 一部瓦に刻印を確認しました。何れも丸瓦にてK03は軒丸瓦であった。
 K01の「宇治市」は、山田源左衛門と共に、宇治市乙方で瓦師を営んでいた藤田市兵衛の刻印である。1759年から1843年ごろまで概ね85年間の作瓦記録があり名前は世襲されている。平等院の出土瓦の中にも同様の刻印瓦が見られ、この刻印は幕末か明治初期のものと思われる。
 K02の「津田瓦新」は、交野の津田村に林新三郎と言う瓦師が居住してあり、その新三郎の刻印である。1728年から1805年初めまで概ね75年間の作瓦記録がありここも名前が世襲されている。瓦には、経年劣化による剥離(表面の炭素膜の剥離)が見られた。
 当該茶問屋3代目が操業される以前からあった同家の蔵瓦と思われます。
 K03の篆刻様の刻印は、浅学な筆者には読めず、資料の収集中ですが、幕末から明治以降近代のものと思われます。

K01
K02

 ※瓦師の作瓦年代については、京都考古刊行会発行「京都考古」第69号「八幡近郊と南山城地域で名を残した瓦師」 中尾正治を参考にしました。

 鬼瓦は、既存瓦を再利用し、形は覆輪形、中央に意匠彫刻があり、西面は「小槌」、東面は「宝珠」の意匠があった。鬼瓦に造瓦者の箆彫りはなく、作者・時代の確認できませんでした。

小槌の意匠の西側鬼瓦
宝珠の意匠の東側鬼瓦

 棟瓦は既設京箱瓦を再利用し、本瓦葺の部分には蟹面戸瓦を新しく施し、その上に台熨斗瓦を新しく施しました。中央部分は新規に散瓦葺きとし、桟瓦部分との高さ調整に台熨斗の下に新しい丸瓦を捨葺きしました。その下は鼠漆喰にて面戸の処理を施しました。
 台熨斗の上には熨斗瓦(既設再利用)を2段鬼瓦との高さ調整に葺き、京箱瓦を葺いて納めた。
 本瓦葺きに用いた既設軒丸瓦の瓦当に三つ巴紋と16個の珠紋を確認し、軒平瓦の瓦当には唐草紋を確認しました。何れの瓦当の意匠も、江戸期以降の極一般的なもので、軒平瓦の文様の域も、中央寄りに狭くあり、両脇の外縁の部分が広く、江戸期に入ってからの特徴がよく見られていました。

K03
棟瓦は既設京箱棟瓦を再利用

軒丸瓦の瓦当 拓影
軒平瓦の瓦当 拓影

瓦葺き軒 1 段目軒丸瓦(SUSビスと銅線で固定)
一部鼠漆喰を使用しています。

屋根螻羽の検証と確認
 西側の螻羽は、現況元の土蔵の螻羽がよく存置されており、荒壁部・下地竹等の損傷を防ぎ現状を維持保全するため、幅広の螻羽板を新設して保護、屋根面を除く三面には左官下地を更新し、モルタル塗仕上げにて保全しました。漆喰調塗装としました。

螻羽の荒壁下地

垂木に相当する間渡し竹(φ45)を間隔 90 程度に渡し並べ、小舞掻き(割竹)を藁縄で編んであります。
改修前の大屋根
改修前の螻羽と牛梁の木口
牛梁の内観
牛梁下面にあった改修時期の棟札
妻側螻羽 漆喰塗調の仕上げ
現況 主屋と台所の屋根 (越屋根型の煙出し)

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