【連載】解体修理に観る屋根瓦と建物の歴史 第2回

城南支部 金森 清正

 「すじかい」の連載企画の第2篇です。
 今回は宇治白川に、地域のシンボルとして中心的存在を担っている惣門「白川金色院惣門」があります。
 近年、老朽化と車両による門への棄損事故が起き、全面解体、一部の腐朽材を含めて補修されることになり、株式会社「羯摩」にて、全面解体され改修されました。
 当篇は、「歴史まちづくり研究会」うじが、部材確認と修理状況の確認を行い金森が執筆した資料の内、屋根瓦に特化して整理し纏めてみました。
 当該惣門は、木造 四脚門 本瓦葺きで鎌倉時代に移築された可能性が高く金色院の「勧進帳」にある長禄四年(1460)の金色院火災で被災した坊舎の門を、火災後の勧進に基づく再興時に、惣門として現在の場所に移築されもので、それが方立裏にあった墨書銘の文明十年ではないかと考えられます。
 また、蟇股材の年輪年代法による測定によると推定伐採年は、1258年となり13世紀後半の材と判断されます。これらにより鎌倉時代前期13世紀後半の建立の可能性が高く推量されます。

南側獅子口実測図
北側獅子口実測図

南側獅子口は
 経の巻きと、正面下方両側面に径140mmの三巴文とその外周に珠文が一六並んでいる瓦当が造り出してあります。外区の幅は20mmです。
 屋根は、本瓦葺き 切妻造で棟両端の棟飾瓦は、頂部に円筒状の「経の巻」を三本のせてある獅子口です。獅子口の正面上方には山形の筋(綾筋)が二本造出してあります。上面右に「宇治住」上面左に瓦師「山田源左衛門友英」の箆書きがあり、宇治乙方村を本拠地とした瓦師山田源左衛門の五代目です。両鰭(足)部は立浪模様で左側鰭の裏面に宝暦四戌歳 二月吉日の箆書きがあり、これは方立裏にあった墨書「宝暦四年甲 甲戌 二月廿八社日 門修理同瓦修理有之大工 松本甚兵衛藤原信金」とも合致しています。獅子口瓦は棟の北側と南側では若干異なっていて、北側には箆書きも無く南側の獅子口より新しい感があり、造りが少し稚拙です。両鰭(足)部は南側と同様の箆書きがあり同笵の瓦です。
 平等院刻印瓦にも「宇治山田源左衛門」があり、江戸期を通じて平等院に瓦を納入していた瓦師で、平等院の他三室戸寺・興聖寺・万福寺にも見られます。
 獅子口瓦は『年中行事絵巻』にも描かれており、すでに平安時代には用いられていたことが知られています。

南側獅子口
北側獅子口

北側獅子口は
 経の巻きと、正面下方両側面に径120mmの三巴の瓦当があり貼付けてあります。巴文の外周に珠文はついていません。外区の幅は18mmです。

  • 文中の墨書については、京都芸術大学の杉本宏氏、年輪年代については、奈良文化財研究所の光谷拓実氏に、ご協力頂きました。

軒丸瓦
 瓦当は、複弁8弁の菊文で、直径190mmで、直径60mmの中房に1+4の蓮子を配しています。花弁は30mmを測ります。また、外区内縁際に約6mmの珠文24個が巡っています。この軒丸瓦は、平等院昭和修理の軒丸瓦と同笵瓦と思われます。
 「明治三九修補 瓦師西彦製」と作者の刻印が凸面玉縁際にあります。これと同様の刻印瓦は、平等院の保存整備報告書にも見えます。

軒丸瓦の瓦当部分の実測図
同左の写真

軒平瓦
 瓦当は、偏行唐草文で三角の凸形の線形で描かれています。瓦当外縁部は、無段で3mm幅の三角の凸形の線形で区画されています。区画線の内側には、径7mmの珠文が22個巡っています。平瓦部凸面に縄タタキの跡が20mm当り三本見えます。又同面には、「明治三九修補瓦師西彦製」と作者の刻印があります。

軒平瓦の瓦当部分の実測図
軒平瓦の瓦当写真
軒平瓦の凸面の縄タタキの跡

棟込瓦
 棟下段の棟込瓦は、単弁12弁の蓮華文で、直径75mm・脚部の長さは88mmです。上段には輪違の棟込瓦があります。

棟込瓦の写真と実測図

隅巴蓋
 屋根の四隅にあって、軒巴・隅巴・螻羽巴瓦などの接点を覆うための瓦で、防水と装飾的な意味の大きい瓦です。立浪の意匠です。
 南東・南西・北西のものは、同形(対称形)で立浪の一部が欠損しています。また北西のものは三片に割れていて内二片は残存、一片は欠落しています。
 北東のものは、二廻りほど大きく、磨き瓦で上級な仕上がりの瓦ですが、これも立浪の一部が欠損しています。

隅巴蓋瓦
北西の隅巴蓋瓦
北東の隅巴蓋瓦
惣門西側正面の写真

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